俳優革命 – プロ演技トレーナー(講師)/仲祐希の現場ノート

プロ演技トレーナー(講師)である仲祐希が独自の視点で語る俳優革命論

【第78回】リラクゼーションは俳優に必要なのか?

・リラクゼーション信仰の蔓延

 「まずリラックスして、緊張を解きましょう」。

 現在では何かを始める前にリラックスは当たり前のようになっている。

 深呼吸し、肩を回し、身体の力を抜く。――これが、いたるところで“導入儀式”のようになっている。

 俳優教育ではどうか?

 リー・ストラスバーグが発案し、今でもハリウッドの俳優たちが頼りにしている”メソッド演技”でリラックスは俳優にとって欠かすことの出来ないものであるという教育がなされている。

 また、他の演技ワークショップや劇団の稽古などでも、ストレッチや筋トレと同じようにリラックスは重要視されていると聞く。

 ちなみに、メソッド演技でリラクゼーションは「リラックスして力を抜く」ことではない。

 スポーツ選手が最高のパフォーマンスを発揮する状態、いわゆる”ゾーン”と呼ばれる覚醒状態を目指すものなのだそうだ。

 これにより俳優は「身体と感情を一致させ、余分な緊張から解放されることで自然な感情反応を引き出すことができ、且つ、想像上の出来事を信じ込み、より正確に相手の感情や状況に反応できるようになる」ということらしい。

 だが、私はこのことについて、否定的な立場をとっている。

 私がマイケル・チェーホフのメソッドを教えていて、俳優がリラクゼーションに頼るほど、俳優の身体は弱体化していくという事実があるからだ

・ストラスバーグ以来の“リラクゼーション神話”

 前述の通り、リラクゼーションを演技訓練の中核に据えたのは、メソッド演技の創始者リー・ストラスバーグである。

 彼はスタニスラフスキーの初期理論を継承し、「感情記憶(emotional memory)」を呼び起こす前提として、身体の不要な緊張を解きほぐす必要があると説いた。

 リー・ストラスバーグのいう緊張を解きほぐす方法は、筋肉の脱力から始まり、精神的な緊張の解放を「想像力の世界」で行うように指導される。

 一方、マイケル・チェーホフは、著書「演技者へ!」で、スポーツ的な運動で用いられる「筋肉の力」や頭の中の「想像力」は「俳優の身体」を鍛えるものにはならないと断言している。

 これは何を意味するのだろうか?

 私が、ここで一つだけいえることは、リー・ストラスバーグのリラクゼーション方法は、マイケル・チェーホフが「いくらそれを行っても演技は上手くならない」と断じている方法だという事だけだ。

リー・ストラスバーグ

・リラクゼーションが必要ということ自体が“異常”?

 マイケル・チェーホフの主張を要約するとこうなる。

 「俳優がリラクゼーションを必要とするというのは、そもそも「俳優の身体」が出来ていないからである。」

 本来、俳優の身体とは、日常から既に調律された“表現楽器”であるべきだ。

 それは舞台上だけでスイッチを入れるものではなく、24時間、常に敏感で、柔軟で、活力にあふれている身体――

 つまり、俳優にとって「常にリラックスした状態」こそが”あるべき姿”であり、「俳優の身体」を手に入れた俳優にとって、そもそも「緊張」は生まれない。

 ということは、裏返せば「リラクゼーションを必要とするのは、俳優の身体を手に入れていないからだ」ということになる。

 そして、リー・ストラスバーグを始めとして、俳優育成の現場で、今なお、これだけリラクゼーションが重宝されているということは、演技講師、コーチらを始めとする俳優育成に携わる人々の誰一人としてマイケル・チェーホフの語る“俳優の身体”がどのようなものなのか、分かっていない。――ということが分かるのである。

・リラクゼーションの本質的な限界

 リー・ストラスバーグのリラクゼーション訓練では、俳優自身の意識を「現実の身体感覚」に戻すために「戻り作業」のプロセスが推奨されている。​

 具体的には次の通りだ。

 ・終了時の意識回復プロセス

  A)ゆっくりと深呼吸しながら、各部を意識して動かしていく(ボディスキャン的アプローチ)​

  B)足裏を感じ、床との接触を意識する(グラウンディング)​

  C)周囲の音・光・空気を少しずつ感じ取り、外界への感覚を回復させる

 これを皆、当然のように思っているが、「再び意識を取り戻す」という、この行為こそが「リラクゼーションには意味がない」と言い切れる理由である。

 どういうことかというと、「緊張」を生んでいるのは意識そのものだからである。

 意識を取り戻すということは、つまり、緊張を取り戻すということと同じ意味だということに、殆どの人は気づいていない。

 そして、意識という緊張状態の中には、芸術は存在しないという決定的な真実がある。

 つまり、リラクゼーションと芸術的創造はトレードオフの関係にある。

 そのため、リラクゼーションの力を信じている多くの俳優たちが「本番で緊張してしまい、身体が硬くなる」というジレンマを抱えていることだろう。

 その時、彼らはこう思うのだ「まだまだ稽古が足りない」と。

・「筋肉を鍛える」ことの誤解

 マイケル・チェーホフは『演技者へ!』の中で、「筋肉が異常に発達している身体は、活力のない身体である」と明言している。

 俳優に必要なのは、筋肉の太さではなく、エネルギーの流動性である。

 現代の身体訓練――筋トレ、スポーツ、ストレッチ、ヨガなどは、多くの場合「制御」や「支配」を目的としている。

 だが俳優の身体とは、“制御する身体”ではなく、“感じ、共鳴する身体”でなければならない。

 筋肉の鎧を纏った身体では、エネルギーの流れは止まり、観客に届く「生命的な振動」は失われる。

 このような身体を持つ俳優は、どれだけリラクゼーションをしても決して自由にはならない。

・俳優の身体が「すでにリラックスしている」状態とは

 理想的な俳優の身体は、「常にエネルギーが流れている身体」である。

 それは緊張も弛緩も同時に内包し、動かずして世界を感じ取れるほどの“感応力”を持つ。

 その状態にある俳優は、特別な呼吸法も瞑想も必要としない。

 なぜなら、すでに身体が「自然のリズム」と同期しているからだ。

 マイケル・チェーホフが説いた俳優の身体とは、世界と一体化した“統合感覚の身体”であり、そこではリラクゼーションなどという人為的行為は意味をなさない。

・「リラクゼーションが必要」という錯覚

 俳優がリラクゼーションを求めるとき、それは「本来の俳優の身体」からどれほど遠ざかっているかを証明しているようなものである。

 リラクゼーションが必要な時点で、もうすでに“緊張”している。

 “緊張”とは、意識が常に優位に働いていることであり、それは演技を「仕事」として切り離している証でもある。

 マイケル・チェーホフが求めた俳優とは、舞台の上だけで演じる人間ではなく、日常そのものが芸術となる人間だった。

 その領域に到達すれば、リラクゼーションなどという概念は、もはや不要になる。

 俳優はただ、生きているだけでよい。

 リラクゼーションが必要なうちは、まだマイケル・チェーホフの言うところの俳優ではない。

 真の俳優は、常に世界と共に呼吸しているのだ。

 


 

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