晩年と和解 ― 破壊から再生へ
シェイクスピアの後期作品を読むと、それまでの激しさとは明らかに異なる気配が漂っている。
権力闘争は影を潜め、復讐は完遂されず、破壊は最終目的ではなくなる。
そこにあるのは、和解、赦し、再生、そして手放すことだ。
この変化は、作家としての成熟だけで説明できるものではない。
それは、彼が生きた時代の変化と、彼自身の人生の位置と深く結びついている。
エリザベス女王の死と時代の転換
1603年、長きにわたりイングランドを統治したエリザベス1世が崩御する。
彼女の治世は、安定と同時に緊張と抑圧の時代でもあった。
その後を継いだのが、スコットランド王ジェームズ6世――
イングランド王ジェームズ1世である。
この王の即位により、政治的空気は大きく変わった。
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宮廷文化の変化
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王権の性質の変化
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演劇への関心の変化
そして何より、シェイクスピアの劇団は王直属の劇団(King’s Men)となる。
保護は強まったが、同時に「観測者としての距離」も生まれた。
疫病と死の影
この時代、ロンドンは繰り返しペスト(黒死病)に襲われている。
劇場は閉鎖され、興行は中断され、人は突然命を落とす。
シェイクスピア自身も近しい人々の死を何度も経験している。
1607年には弟エドマンドが死去。
そして1616年には彼自身の死が近づいてくる。
死が、常に日常のすぐ隣にあった時代。
それは、世界をどう描くかに大きな影響を与えた。
後期作品 ― ロマンス劇の誕生
この時期に書かれた作品群は、一般に「ロマンス劇」と呼ばれる。
代表作は、
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『ペリクリーズ』
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『シンベリン』
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『冬物語』
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『テンペスト』
これらの作品には明確な共通点がある。
『冬物語』 ― 時間が赦すもの
『冬物語』では、嫉妬と誤解によって家庭が崩壊する。
王レオンテスの疑念は、妻を死に追いやり娘を捨てさせる。
だがこの物語は、復讐では終わらない。
16年という時間が流れ、過ちが露わになり、失われたものが形を変えて戻ってくる。
ここで描かれているのは、
人は間違える
だが、時間は人を変える可能性を持つ
という極めて現実的で同時に静かな希望だ。

<冬物語>
『テンペスト』 ― 手放す者の物語
『テンペスト』は、シェイクスピア最後の単独作とされる。
主人公プロスペローは、
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知識を持つ者
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魔術を操る者
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かつて権力を奪われた者
である。
彼は復讐できる立場にある。
だが、最終的に選ぶのは――
復讐ではなく、赦し
支配ではなく、放棄
魔術の書を捨て、力を手放し、島を去る。
これは、作家自身の姿と重ねて読まれてきた。
若き日の怒りとの距離
初期・中期のシェイクスピアは、野心、嫉妬、権力欲、暴力を徹底的に描いた。
それらは消えたわけではない。
だが、晩年の彼はこう示す。
怒りは理解できる
だが、それに留まり続ける必要はない
これは理想論ではない。
現実を知り尽くした人間の選択である。
破壊の先にあったもの
シェイクスピアは、世界が残酷であることを否定しなかった。
だが同時に
・人は変わり得る
・赦しは弱さではない
・手放すことも力である
という視点を、最後に提示した。
それは、長く観測し続けた者だけが辿り着ける地点だった。
次回は、シェイクスピアがロンドンを離れ、ストラトフォードへ帰還する理由を描く。
なぜ彼は沈黙を選んだのか。
なぜ自分を語らなかったのか。
そして、「説明しない人間」という一貫した姿勢の意味を考えていく。
参考文献・研究資料
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Stephen Greenblatt
Will in the World: How Shakespeare Became Shakespeare
W. W. Norton & Company, 2004 -
Jonathan Bate
Soul of the Age: A Biography of the Mind of William Shakespeare
Penguin Books, 2008 -
Northrop Frye
A Natural Perspective: The Development of Shakespearean Comedy and Romance
Columbia University Press, 1965 -
E. M. W. Tillyard
The Elizabethan World Picture
Vintage, 1961
次回 ウイリアム・シェイクスピアの人生(12/13)