第一部では、ワイド・ブロード・ムーブメントとは何か、その全体像と「エネルギーを操作する訓練」としての本質を紹介した。ここからは、9つの動作の中でも特に根幹をなす「オープン」と「クローズ」について詳しく語っていきたい。
この二つを体得するだけで、俳優の表現は格段に広がる。なぜなら、オープンとクローズには「世界とのつながり」と「世界からの隔絶」という、表現の両極が凝縮されているからだ。
・オープン ― 世界とつながる感覚
オープンの動作では、両手両足を大きく広げて立つ。ただし、これは単なるイメージトレーニングでもなければ、オープンマインドやリラックスを目的とした身体動作ではない。ここはとても重要な点であり、残念ながら殆どの演技コーチや講師が理解していないことでもある。
俳優は自らのエネルギーを身体全体から外部空間へと流し出す。これは単なるポーズや姿勢の問題ではなく、存在そのものを「開く」のである。
オープンの状態で立った俳優は、舞台全体を包み込むような存在感を放つ。観客は「この俳優がここにいる」ということを、説明抜きで直感的に感じ取る。
さらに重要なのは、オープンには“質”の調整があるという点だ。柔らかく開けば観客に「親しみやすさ」「信頼感」を与え、硬く開けば「権威」「威圧感」を与える。相手との距離感や関係性を、わずかな調整で変化させることができるのだ。
これによって俳優は、観客や共演者との関係性を即座に操作できる。信頼を築くのか、不信を漂わせるのか。舞台や映像における人間関係の質は、この“オープン”の質的調整によって劇的に変化する。
・クローズ ― 世界から消える感覚
一方、クローズの動作は、オープンとは正反対に「閉じる」ことである。俳優はエネルギーを外に放つのではなく、自分の内側に極限まで凝縮する。
クローズを行うと、俳優は「外界から隔絶した」ように感じられる。観客から見ると、まるで世界から孤立して、手の届かない場所に行ってしまったかのように感じるだろう。これは単なる姿勢の小ささではなく、エネルギーの方向が完全に内向している時に自然と起こる現象だ。
クローズによって俳優は、「敵対」「無関心」「隔離・隔絶」といった質感を自在に表現できる。世界とつながるのではなく、世界から切り離されることで、孤独や冷淡といった感覚が自然に立ち上がるのだ。
<マイケル・チェーホフ>
・オープンとクローズがもたらす表現の幅
オープンとクローズをマスターすることで、俳優は表現の両極を身体で理解することができる。
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オープン:世界と繋がり、他者と関係を築く。
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クローズ:世界を遮断し、孤立や拒絶を生む。
この両極を行き来できることで、俳優は「どのような関係性の質にも対応できる柔軟性」を身につける。
たとえば、信頼関係のある恋人同士を演じる時、あるいは敵対関係にある宿敵を演じる時。その両方を身体のエネルギー操作によって即座に表現できるのだ。
これは感情を「つくる」ことではない。身体のエネルギーを調整することで、自然とその感情にふさわしい雰囲気が生まれる。そして、感情は後から結果として立ち上がるので、作為が透けることなく「自然にそこにいる」状態が実現されるのである。
・コミュニケーションの本質に触れる
オープンとクローズを習得することで、俳優は「パーソナルスペースの質的操作」が可能になる。人は誰しも、相手との距離感によって心の状態が変わる。近づきすぎれば不快になり、適切な距離を取れば安心する。
俳優はこれを無意識ではなく、意識的に操作することができるようになる。舞台や映像での関係性は、この「距離感の質」に大きく依存している。オープンによって相手を受け入れるか、クローズによって拒絶するか。これを明確に操作できることが、プロフェッショナルな俳優の演技術となる。
演技は、相手役や観客との「共感・共鳴」によって成立する。相手に心を開けば一体感が生まれ、閉じれば孤立が生まれる。この根本的な関係性を、オープンとクローズの訓練によって体得できるのだ。
つまり、オープンとクローズは「コミュニケーションの本質」に直結している。
俳優はただセリフを言うのではなく、相手との関係をエネルギーで作り出す存在である。その土台を築くのが、この二つのエクササイズなのだ。
・まとめ
ワイド・ブロード・ムーブメントの中で最も根幹をなすのが、オープンとクローズである。これを体得すれば、俳優は「世界とつながること」と「世界から消えること」という両極を自在に操れるようになる。
それは感情の上に作るのではなく、身体を通じてエネルギーを操作することから始まる。この技術をマスターすれば自然で説得力があり、観客に深く届く演技ができるようになる。
演技における本質的な関係性の操作は、この二つの動作から学べる。オープンとクローズは俳優が真に「役として存在する」ために開けるべき最初の大きな扉なのだ。
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